大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和30年(オ)286号 判決 1960年12月27日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐藤武夫、同保津寛の上告理由第一点について。

原審の確定した事実によれば、本件約束手形振出の当時、上告会社には、別に会社を代表すべき取締役が定められていて、本件手形を振出した島村圭蔵には会社を代理してこれを振出す権限はなかつたのであるが、当時同人は上告会社の取締役であつたばかりでなく、その約一ケ月前までは経理部長の職にあつて金銭出納事務を担当し、ことに上告会社と取引のあつた富士銀行備後町支店(本件手形の最初の支払場所)、大阪銀行本店(本件手形の支払場所)その他の取引銀行に対しては、上告会社との間に締結された当座勘定取引契約に基づいて、上告会社を代理して小切手を振出し、これによつてそれら銀行から預金を引出す等契約所定の当座勘定取引をなす権限を附与されていた上、上告会社より右各銀行に対し、島村を上告会社の代理人とする旨の届出とともに同人の印鑑届が提出されていたこと、しかもその代理権も、その約一ケ月前、同人が経理部長から企画部長への転出に伴つて消滅していたこと、一方本件手形の受取人である国沢庫太は、知人に伴われて上告会社に赴き、同所において島村を紹介されて経理部長の肩書ある名刺を貰い受けた上、同人より上告会社のために手形割引による金融を依頼されて本件手形を交付されたのであるが、同人は、念のため人を介して、手形の支払場所である富士銀行備後町支店について、振出人の資格等を調査したところ、偶々上告会社の同銀行に対する島村の代理人解任届が遅れていたため、同銀行では、さきに上告会社から提出されていた前記代理人届と印鑑届によつて照合し、一致することを認めてその旨国沢に回答した結果、国沢は安心して本件手形を受取るに至つたというのである。

果して、然りとすれば、本件手形の受取人である国沢は、前示島村において何ら手形振出の権限のないものであること、しかも島村が有していた前示代理権限も手形振出当時はすでに消滅していたことについて善意無過失であり、島村に手形振出の権限あるものとのみ信じ、かく信ずるについて正当の事由あつたものと認めるを相当とすべく、従つて国沢から本件手形の裏書譲渡を受けた被上告人に対し上告会社は民法一一〇条、一一二条の法意に従い本件手形につき支払の責を免れ得ない筋合である(昭和三〇年(オ)第二九九号、同三二年一一月二九日当裁判所第二小法廷判決、集一一巻一二号一九九四頁、昭和一八年(オ)第七五九号同年一二月二二日大審院民事聯合部判決、民集二三巻六二六頁各参照)。されば右と同趣旨に出た原判決の判断は正当であつて、何ら所論のかきんあるを認め得ない。所論は叙上に反する独自の見解に座するものであつて採るを得ない。

そして右の如き場合本人たる上告会社は、民法一一二条、一一〇条両規定の法意により、島村の振出した本件手形につき、受取人たる国沢に対し、振出人としての責を免れ得ないものであることは右判示のとおりであるから、これと同趣旨の原判決には所論の違法があるとは認められない。また上告会社が右国沢に対し本件手形につき振出人としての責を免れ得ないものである以上、国沢からこれが裏書譲渡を受けた被上告人に対してもまた同様の責を負うべきものと解されるから(この点についてはなお後記第三点の判旨参照)、これと同じ見解に立つ原判決には所論のかきんありとは認められない。

なお論旨は、島村の従前有した代理権は、ただ単に上告会社と前記特定の取引銀行との間に締結された契約に基づく当座勘定取引に関してのみ与えられたものであつて、それ以外の取引に関して与えられたものではなく、況んや右銀行以外の不特定多数人を相手方とする取引に与えられたものではないから、民法一一〇条、一一二条によつて保護される者は、右取引銀行に限らるべきであり、右代理権に何のかかわりもない本件約束手形の振出につき、銀行はもとより銀行以外の者までその保護を受くべきものではない旨主張するが、民法一一〇条の規定は、代理人の行為がその代理権のある事項と関係があると否とに拘らず適用があるものと解され(昭和四年(オ)第八七〇号、同五年二月一二日大審院第四民事部判決、民集九巻一四三頁、同一五年(オ)第八一五号、同一六年二月二八日同第五民事部判決、民集二〇巻二六四頁参照)、民法一一〇条と一一二条が競合する場合もまた同様と解されるから、上告会社は右当座勘定取引に関係のない島村の本件約束手形の振出しについてもその責に任ずべきであり、また同人にその権限ありと信じ、かく信ずるにつき正当の理由をもつ銀行以外の者に対しても同様の責任を免れ得ないものといわなければならない。何となれば、所論の事実は、相手方が当該取引につき代理人に、民法一一〇条にいわゆる「その権限ありと信ずべき正当の理由」を有していたと認め得るかどうかを判定するにつき参酌さるべき事項に過ぎないからである。

この趣旨において、本件国沢もまた所論法条の保護を受くべきものであると解した原判示は正当であり、所論の違法は認められない。

同第二点について。

しかし民法一一〇条にいわゆる「信ずべき正当の理由」とは、かく信ずることが、前後諸般の事情に照し、普通の注意力を有する者の挙措として無理ではないとの謂いに外ならないと解されるから、(昭和九年(オ)第九一六号、同年一一月一三日大審院第五民事部判決、集一三巻二〇七三頁参照、)原判決が判示諸般の事情に鑑み、国沢にはかくの如く信じたについて正当の理由があつたものと判断したのは正当であり(原判示参照)、その場合、さらに、もつと手を延ばして所論の如き点まで調査しなかつたとしても、これを以て同人に過失があつたものとすることはできない旨判断したのもまた正当として是認できる。それゆえ論旨は採るを得ない。

同第三点について。

しかし約束手形の裏書譲渡があつたときは、その裏書によつて、手形から生じた一切の権利は、被裏書人に移転するものと解されるから、振出人が受取人に対し民法一一〇条、一一二条の適用により手形上の責任を免れ得ないときは、振出人は被裏書人に対しても、その手形につき振出人としての手形上の責任を免れ得ないものと解するのを相当とする(昭和八年(オ)第二二五〇号、同年一一月二一日大審院第五民事部判決、法律新聞三六九八号一五頁、大正一二年(オ)第一九九号、同年六月三〇日同第三民事部判決、民集二巻四三二頁等参照)。

されば原判決が、その確定した事実関係の下において、上告会社は民法一一二条、一一〇条によつて、島村の振出した本件手形につき、受取人たる国沢に対し、振出人としての責を免れ得ないものである以上、国沢から右手形の裏書譲渡を受けた被上告人に対してもまた同様の責任ある旨判断したのは正当であり、論旨はひつきようこれと相容れない独自の見解を前提とするものであるから採るを得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高木常七 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例